痛みや苦痛を和らげられるのは医者でない
最近、右腕が本当に痛く、ストレッチやちょっとした伸びをするだけで、激痛が走ります。
多分、去年から固い床で右肩を下に横向きでずっと寝ていた癖があったので、その時『ゴキッ』という音と共に、右肩がなにかズレたような気がしていました…。
それからのこと、右で横向きに拭き掃除するたびに、激痛が走り、今では何をしても激痛が…。
これは、50肩と呼ばれる一種なのだろか…。
『老化』と呼ばれる体の変化に、心が伴っていないのだろか…(爆)
自分は、ずっと10代のころから、歳をとるなんて考えていなかったのです。
年を重ねるほど、きれいになるし、顔つきも変わる。
経験値が高いほど、その人からでるオーラがまったく違うから。
そういう人にばかり、出会いがあったので、自分も素敵に年を取ると思っていたのです。
白髪も、白髪こそ、神様から頂ける冠であり、それを隠そうとすると余計に老けて見えるのが、私の考え。
ただ今も、黒髪がふさふさあるので、いつになったらカッコいい白髪女性になれるのか、楽しみなのです。
私の母は、来年80歳ですが、未だに黒髪がふさふさしているの。
きっと私も80歳まで黒髪なのかな。
だから、自分は老化を経験しないと、思っているのです。
お祈りで変わる
お祈りって、すごいです。
肩の痛みをなくしてください、とお祈りして、自分でできるストレッチなど、なるべく肩を動かすように、心がけてきたら、少しずつですが、痛みが和らいできました。
不思議と、その日その日に、肩のやるべき治療ストレッチのアイデアが浮かび、この態勢で10秒キープとかやっていると、肩の痛みがなくなります。
神様って、目に見えないけれど、『ひらめき』をくださり、それを実行することによって、自分が自分のドクターになれるのです。
お祈りで、『ガンがなくなりました』とか、『癒されました』という声は、本当に限りなくあり、人々を見ても、自分を見ても、神様がいるという真実に目を向けることができます。
お祈りは、神様とのコミュニケーションです。
だから、自分の心がざわつくときに、お祈りをすると、ザワザワせず、落ち着いて現実をむくことができます。
私の中に罪があって、神様から隠れたい思いがあるときは、お祈りもできません。
そして、神様はそんな心も知っていて、いつも手を広げて待っていてくださいます。
人々はイエスと知って、その地方全体を走り回り、
病人を床に載せて、
どこでもイエスがおられると聞いた場所へ運び始めた。
村でも町でも里でも、イエスが入っていかれると、
人々は病人を広場に寝かせ、
せめて衣の裾にでもふれさせてほしいと願った。
触れたものは皆、癒された。
マルコ6:53~56
まずは、祈ることで、体の悪い部分は、治るのです。
しかも、イエスキリストのみ名によってです。
色々な病気が世界中であり、人々の心は恐怖であおられてしまいました。
『死』という恐怖より、もっと怖いものを見せられている気もします。
神様のそばで、祈りのよって強められていくと、その恐怖は消えます。
万が一、医者に診てもらわなければならない状況にあっても、医者を選ぶときふと考えが浮かぶのです。
だから、神様に引っ付いていることが一番で、目に見えないけれど、一生懸命、命がけで私を救い出そうとしておられる姿が、見えてくるのです。
人は、不安になると、なにかにすがりつきたくなります。
特に、女性は心配事が不安が感情とともに来るので、大変です。
でも神様は、占いなどにも頼ってはいけません、とはっきり言っています。
占い、前兆、夢はむなしいもの
陣痛に苦しむ女の心にうかぶ空想のようなものだ。
シラ書(集会の書)34:5
だから、祈りによって知恵をいただくのです。
祈りは、本当にすごい力です。
肩が痛いけれど、老化ではなく、きっと神様をもっと深く知るための、きっかけにしかすぎません。
神様がいつもいてくださることを、知れる出来事でした。
今日も素敵な日を。