『言葉』を食べて満腹になる
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、
イエスはお答えになった。
「神の国は、観察できるようなしかたでは来ない。
『ここにある』とか、『あそこにある』と言えるものでもない。
実に、神の国はあなたがたの中にあるからだ。」
ルカの福音書17:20-21
この神の国は、天国と呼ばれる所と解釈していますが、それが
自分の中にある、とおっしゃっているのです。
自分の中に一体何があり、何を才能として与えられているのでしょうか。
それは、からし種ほどの小さい『信仰』があれば、自分は天国に入れるような幸せを感じることができる、ということです。
天国と一言で言っても、テレビや映画の影響で、天使に取り巻かれているような『現実』から、かなりかけ離れたようなイメージがありますが、。
決してそんなことはない、ということです。
大嵐の中で、大波が来て、船が沈みそうになっても、安心して寝ていたイエス様がいます。
どんなことがあっても、絶対大丈夫と、思える、そして信じれるのが信仰だと思うのです。
その信仰をもって、社会の人に仕えることが、神の国の実現なんだと思ったのです。
自分は、主婦で社会からはなれた場所で生きていますが、(今仕事さがしていますが…)
神様が遣わしてくださる所で、神様への絶対的な信頼のもと、仕えるというイメージになります。
だから、家庭の中で、ダンナさんや子供たちに、神の愛を少しでも自分たちで感じられるような環境にするのです。
ダンナさんとケンカしたら、もうそれはかないません。
憎しみの言葉ばかり出ちゃいますから…。
子どもにも、悪い言葉ばかりを言っていたら、成長しません。
言葉によって生きる
自分の言う言葉に、気を使っていますか?
私は、思ったことを真っすぐに、言っていたので、家庭の中でも、会社の中でも、誤解されることがたくさんあります。
言わないといけない、と思っていたからです。
だけど、そんなしがらみは、一切関係なく、受け取った人にとっては、傷つき、落ち込んだ人も多かったのだと、今さらですが、思うのです。
それは、自分自身にも投げかけていた、『しがらみ』の言葉でした。
~~しないとダメだよ。
○○さんは、~~だから、しょうがない。
~しないと、こうなってヤバいよ。
とか、本当に脅迫じみた、言葉が私の中で展開されているのです。
神様の言葉(聖書)は、本当に読んでいるだけで、心が休まります。
そして、なによりも、その言葉で自分が生きるのです。
食物を食べているときよりも、言葉を読むだけで、お腹いっぱいになるのです。
そして満腹のあと、眠くなるのではなく、心が温まって、熱い思いになります。
神様が生きている証拠ですね。
私は、人一倍心配性だし、怖がりなのですが、それは、自分の心が傷つかないように、一生懸命守っているのです。
しかし、自分の言葉で、自分を傷つけていたのなら、自分を守る事なんてできません。
だから聖書を読んで、自分の言葉を正せるように、矯正しているのです。
そして、心に安心と平和をくださる神様に、自分を変えてくださいと、お願いするのです。
今日も、このブログを読んでくださった一人一人に、神様の平和がありますように。
本気で生きていきましょう。
Have a nice day!