言葉で生きて、祈りながら行動すること

五稜郭公園にある松の木

最近、なんだか救急車の音が鳴り止みません。

一日5台以上の音を聞き、運転しては必ず救急車に遭遇します。

一体全体、どうなってしまったのでしょうか。

ワクチンの副作用で、どれほどの人たちが苦しんでいるのでしょうか。

今は、もう世の終わりだと感じています。

人々の愛が冷め、人の人権なんかも無視され、命が軽くなっている世の中です。

疫病も増え、災害も増え、貧困も増し、不安をあおられ、毎日をどう過ごしてよいのか分からないのです。

特に、母親は家族を支え、自分自身の価値すらも見えず、他人の噂話で、一日が過ぎていく人が多い。

1分1秒も無駄にはできない

女性はどうしても、サボり癖があります。

弱さがあり、食事や睡眠をこよなく愛してしまうのです。

自分の個性・才能を考える前に、自分には無理だからと、お菓子食べちゃう人多いと思う。

どんなにダメでも、神様の目から見たら、すばらしい才能があるのですよ。

目に見えなくても、あると信じてやり続けていくと、その先に見えて来るものは、

神様の祝福しかないと、確信するのです。

なぜなら、自分はピアノを上手に弾けないときに、

簡単にあきらめてしまうのですが、

お祈りをしてから練習をすると、

自分の思い通りに、指が自然と動き、自分の心のまま、音を出すことができたのです。

子どもの時から、指が小さいから、オクターヴなど弾けないし、難しいのは疲れるからと、

練習をあきらめてきた自分がいるのですが。

今この歳で、ピアノを基礎から洗い直していくと、

ピアノが楽しくて仕方がないのです。

だから、椅子に座ってインターネットをダラダラ読んで

お菓子を食べる癖をやめて、

ピアノに向かう時間を増やしています。

お祈りをしてからピアノを弾くと

見えない不安が、すべて消え去るのです。

女性として、母として、妻として

神様が、私を女性として私を選び

弱さも与え、

男性には分からない気持ちがコロコロ変わる感性もあり、

平和を作ることをいつもの仕事としているのです。

だから、一人の女性として自分を見つめていく時に、

子どもと接する自分、夫と接する自分が

よく見えてくる。

不思議と、お祈りしてから一日を始めると

不安が消え去るのです。

学校に対する不満、社会に対しての怒りが、

なくなるのです。

神様が、まず私を救ってくださった、その大きなお恵みの中で

生きていけるからです。

まず祈る事

お祈りすることは、簡単なことです。

難しく考えるから、出来なくなるのです。

神様と呼びかけ、神様と対話をしていくのです。

お祈りを毎日することによって

顔も変わります。

聖書を読んで、神様の言葉を深く心で理解すると

これまた変わります。

こんなシンプルなことだけど、

私たちは、実に何も知らずに考えずに生き、

不安ばかりを心に背負っているのです。

だから、祈ろう。

すべては、聖書の神様が成される。

今は世の終わりです。

自分の才能を伸ばして、祈りながら生きていくことが、カギです。

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