良い実を結ぶために今できること
悔い改めにふさわしい実を結べ。
「我々の父はアブラハムだ」などと思ってもみるな。
言っておくが、神はこんな石ころからでも、
アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
斧はすでに木の根元に置かれている。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
マタイの福音書3章8節~10節
聖書によく出て来るたとえなのですが、「良い木」と「悪い木」があります。
良い木は、良い種から育って、良い実を結び、悪い木は、種が悪いので、悪く育って、最後には腐っていく、というたとえ話です。
神様は、良い種と悪い種を、一緒の畑で育てて、その後にそう実ったかを見ています。
良い実を結ばなかった木は、切り倒されて火に投げ込まれるのです。
ここでの農夫は、神様を意味しています。
私は、まことのぶどうの木、私の父は、農夫である。
私につながっている枝で実を結ばないものはみな、父が取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと豊かに身を結ぶように手入れをなさる。
ヨハネの福音書15章1~2節
これを読み進めていくと、誰でもみんな「良い実」を結びたいと思うわけです。
良い種から良い実を結び、そして神様がもっと良い実を結べるように、剪定までもしてくださいます。
私たちには、良い実を結ぶ種がある
私たちの中に眠っている才能、そして私たちの中にある無限の愛は、小さな種として眠っています。
それを掘り起こす作業がいるのです。
すべてやってきたこと、見てきたことは無駄ではなく、その良い実を結ぶための過程であるのです。
だから、静かになって、心の言葉を聞いてみることが大事だと思うのです。
静まれ、私こそが神であると知れ。
国々に崇められ、全地において崇められる。
詩編46編11節
私はずっと心の中に、神様はいると思っていました。
他の人にも聞くと、そう答える人達がほとんどでした。
逆に、神はいない、と言って生きている人ほど、自分を強く見せるために、お金を使って自分を武装していました。
他人からは分かりえない、自分自身の姿を神様は知っておられ、そして農夫(神様)が手入れするように、私が良い実を結ぶために、ずっと待っていてくださっているのです。
しかし、もう時間がありません。
収穫の時が近づいているのです。
私は、自分に与えられている物を深く知り、心から神様に清めていただいて、そして神様の手入れによって、実を結ばないといけないのです。
今の自分にできること。
今日、何ができるのか。
すぐには、見つかりません。しかし、すでに種はあるので、それを大事に訓練していかなくてはいけません。
決して、自分を責めて、ダメダメ人間にしてはいけないのです。
自分に投げかける「ことば」を改めて、もっと深く神様が語ってくださる「ことば」を受け入れなくてはいけません。
良い実を結ぶためには、イエスキリストの枝にとどまっていないと結べません。
そのためには、聖書を読むことです。
神様のことばを、毎日お水のように、心に注ぎ満たすのです。
見えるものに、まどわされないために、目を覚まして生きていかないといけないのです。
真実を見て生きる目
テレビや、マスコミが報道するもの、ほとんどが嘘です。
神さまが、この世を裁かれ、農夫として剪定されています。
この世の中で生きている私たちは、真実を見て、目を覚ましていないと、まどわされるのです。
自分に与えられたものを、大事にしてください。
そして、良い実を結ぶために、努力してください。
理屈ばかりを並べて、行動を起こすのを後回しにしないでください。
時は迫っているのです。
幸せな人生は、神様にとどまってから、始まるのです。
今日も素敵な日を。
本気で生きることができますように。