「主の祈り」で不安が消える

自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと

また体のことで何を着ようかと、思いわずらうな。

命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥を見なさい。

種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。

だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。

マタイの福音書6章25節~26節

思いわずらいとか、心配事が多いとき、自分の顔がブッサイクになっていきます。

特に、年齢とともに、心の在り方が顔に反映されていくので、本当にやっかいです。

しかも、心配事は、本当にその人の中に恐怖や不安、そして支配力とか、もう人間にはどうにもできない種から生まれます。

自分の子どもが、いなくなったらどうしよう。パートナーがいなくなったらどうしよう。

子どもが犯罪に走ったらどうしよう。他人に迷惑をかけたらどうしよう。

世の中の経済が下がっているし、何もかもがマイナスになっている、どうやって生活していこう。

本当に、あげたらきりがありません。

実際に、私も経済的危機を何度も何度も経験しました。

でも、私の心配をよそに、必ず助けていただく経験を何度もしました。

そして、ようやっと確信するのです。

「あ、神様、ここにいる」と。

やっとこ、現実にその神様の助けが現れてから、私はいつも、神様の存在を知り(頭では分かっていても)、本当にごめんなさいと、お祈りするのです。

お金のことは、本当に生活がかかっていますから、頭の中が、お金のことでいっぱいになってしまいます。

それでも、神様は、神様を深く知れるように、私に経験を持って教えてくださるのです。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。

マタイの福音書6章21節

人から褒められたい、良く思われたい、ビジネスで成功したい。

色々な願望がありました。私は特に、注目されたい欲が強かったから、頑張りました。周りから褒められるために。

そして、いつのまにか褒められるために、いっそう自分を高めていったように思います。

大人になっても、その意識が変わらずに、私はただむなしい思いと共に走り続けました。

人から褒められる→自分がうれしい→自分のゴール→自分の宝

そんなルーティーンの心情を持っていました。

ある日、ハッと気づくのです。

すべてがむなしい。

すべてが無意味。

他人からもらう称賛のために、走り続ける自分に嫌気がさしました。

そこで、お祈りしたのです。

主の祈りです。

主の祈りは、本当に悪魔退治をしてくれるのです。

私の中にいた悪い考えや悪い思い、そして不健康で生きてきたものすべてが、クリアになりました。

一日に何度も何度も唱えました。

特に、

私たちに日ごとの糧をお与えください。

私たちの罪をゆるしてください。私も人をゆるします。

ここの部分を協力に。

そして分かったのです。

すべての心配ごとや不安は、自分の罪から来ている。

神様を見ないで過ごしてきた人生の、そむきの罪である、ということ。

神様は、どんな人でも救われることを願っておられます。

どんな人でも、救われる道があるのです。

心配や不安で、地獄のような日を過ごしている人がいたら、ぜひ主の祈りを祈ってみてください。

あなたの中にいた、悪魔が、逃げていきます。

そして強い意思を持ってください。

神様のご愛が、あなたの心を支配して、安心の中、幸せに過ごすことができますように。

全地全能の神様が、そばにいてくれると知れたら、人生変わります。

私は、その気づきがあって、今の自分があります。まだまだ勉強しなければいけないことだらけですが。

RAPTブログで、神様のことばの解き明かしがされています。

目を覚まして、今日も本気で生きていけますように。

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