祈りで変わっていく現実
彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。
ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、
「私たちを見なさい」と言った。
その男が、何かもらえるのかを期待して二人に注目していると、
ペトロは言った。
「私には銀や金はないが、持っているものをあげよう。
ナザレ人のイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして、右手を取って立ち上がらせた。
すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊りあがって立ち、歩き出した。
そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
使徒言行録3:3-8
神様の奇跡は、目に見えて分かるときと、じわじわと分かるときと、色々な方法であります。
神様の存在が、その人の中で現れるからです。
音楽を奏でるときも、神様が私の中にいて「愛」を感じれるように助けてくれているときです。
神様が、ここにいる、と感じれるときは、涙が出てきます。
自分の小ささや、自分のふがいなさ、足りなささを思うと、嫌になります。
だから神様に心から、悔い改めて、一生懸命自分の生を生きていけるように、お祈りするほかありません。
生活に密着して、神様はいる
聖書を読んでいると、2000年前にタイムスリップをして、おとぎ話の中にいるようにも思えますが、
今も同じ、変わらない神様がいると、あらゆる分野で証明されているので、
もう疑う余地がありません。
ただ、私たちがこの世に洗脳され、自分の生活でいっぱいになって、神様を見れないようになっているだけです。
ネットやテレビから発せられる『ことば』をずっと聴いていると、そうなんだと、思ってしまうのです。
性の問題。(神様への反逆)
男女平等。(神様への反逆)
社会の格差。政治家の汚職。(悪が底なしでいる)
メディアが乗っ取られ、嘘ばかりを、頭の中に入れられています。
今、感染症とか言っていますが、次に来るのは、食糧難と言われています。
農家さんや酪農家さん、たくさんの作物を捨てさせられています。
これらは、全部、聖書に書かれていることです。
ただ私たちが、忍耐を持って、目を覚まして、狭い門をくぐっていかなくてはいけません。
神様は、自分の目の前にいるのです。
自分の心の扉を開くのを待っています。
私が思うのは、今の時代を生きるのには、知恵がいるということ。
社会とうまく付き合うための知恵。
それは、一般書を読んだところで、何も得られないのです。
心を真っすぐに祈ることから、始まるからです。
だから、人の罪ばかりを言うのではなく、まず自分の罪を悔い改めて、イエス様を心にお迎えするのです。
そうすると、なんだか、すべてが楽ちんに思えて来るし、自分の悩みがちっぽけに思えてきます。
神様が私に与えてくださっているものを、まず深く悟り、それを磨くことです。
だから、元気をだしてください。
祈りで、自分も変わり、世界も変わります。
今日も素敵な日を。