甘えてはいけない

シモンは、使徒たちが手を置くと例が与えられたのを見、金を差し出して、言った。

「手を置けば、誰にでも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。」

すると、ペトロは言った。

「この金は、お前と共に滅びるが良い。神の賜物が金で手に入ると思っていたからだ。

お前はこれに関わることも、あずかることもできない。心が神の前に正しくないからだ。

この悪事を悔い改め、主に祈れ。あるいは、心に抱いた思いをゆるしていただけるかもしれない。

お前が苦い胆汁と不義の縄目にいるのが、私には見える。」

シモンは答えた。

「おっしゃったことが私の身に起こらないように、主に祈ってください。」

使徒言行録8:18-24

神様を心から信じる人に、神様は惜しみなく聖霊をお与えになり、その人を通して奇跡を起こしてくださいます。

このシモンという人は、それをお金で買おうとしていました。

しかし、ペトロが言った言葉を注目すると、私の心にもグサリと刺さり、思い当たる節があるのです。

もちろん、聖霊をお金で買うなんてことは、ありえない話なのですが。

神様がくださった奇跡の業を、自分のもののように錯覚をして、それでお金をもらおう、という考えが、自分にあるからです。

人から称賛をいただいたら、それを神様の栄光として、神様へ戻せずに、自分のものとして、自分のプライドとして、確立してしまう恐れがあります。

しかも、女性として生まれてきた私は、承認欲求が強いので、ちやほやされたら、図に乗ってしまいます。

これが危険であると、聖書は言っています。

神様が、自分の内側で働いてくださり、助けてくださったのにも関わらず、手柄は自分一人でやったかのように、人に見せたりするのが、良くないのです。

なぜなら、二心のある者なので、イエス様の再臨の日には、「主よ、主よ」と言っていたとしても、「私はあなたを知らない」と、言われてしまうからです。

自分は、お祈りも聖書も読んでいるから、大丈夫と思っていては、危ないということです。

毎日訓練してくださる主に、毎日応答して、どんな時も祈りを持って進まなくてはいけません。

色々な言い訳を、自分に言って、自分は大丈夫なんて思っていては、後でそれもマヒしてしまい、罪が当たり前の生活になっていきます。

そして、知らぬ間に、他人にも自分の犯した罪をなすりつけて、他人にも大丈夫と、根拠のない罪を犯させるのです。

だから目を覚まして、日々心から神様にお祈りをささげていかなきゃいけない、と思いました。

お金の誘惑は、その人の弱みから来ます。おびき寄せられるのです。

うまい話、お得な話なんて、今の世の中あるわけないのです。

楽して、稼ぐなんて、ありえません。

私は、ずっと長い間本当に、仕事を探してきました。

毎月の支払日が、本当に恐怖で、毎月の収支のバランスが、上手くいかないと、どうしたらいいのか分からないでいます。コロナだから、だけじゃありません。

だからそこに、悪魔が入って誘惑をしていくのです。

誘惑に負けた後の自分(経験済み)、悪魔の「楽に生きよう」という言葉が、辛い時には、神の言葉に思えたりします。

私はずっと、「そのままでいいんだよ」と、自分にも、他人にも、言ってきました。

それで救われた友人もたくさんいました。

しかし、そのままじゃダメだから、悩んでいる人に向かって、そのままでいいとは、ずいぶんと勝手な言いぐさだし、その人の人生に無責任な言い方をしてきたな、と後悔しています。

今いる状態が、本当に辛いから変わりたい、という思いがあるのに、「そのままでいい」と言われることで、変わるチャンスがなくなってしまうのです。

そんな自分への甘い言葉で、人生不幸は、他人のせいで、来てしまった自分に、やっと責任を持つ人生を考えさせられました。

そのきっかけは、聖書と祈り、そしてRaptブログでした。

本当の真実に目を向けることで、自分の生きている立場も、矯正してくださるのです。

神様に目を向けることで、この世の洗脳社会に気づき、そして自分を正していけるのです。

そのままでいい訳がありません。

日々、成長していかないといけません。日々、神様の信仰のレースを走り続けていかなければなりません。

甘いことを言っている場合ではないのです。

まずは、聖霊が自分の中に宿ってくださるように祈ります。

自分の満足で生きていくのではなく、人々の救いのために、祈っていくのです。

今日も本気で生きていくことができますように。

Have a nice day!

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