奇跡は起きる
昨日の夕焼けは、本当に本当に美しかったです。
五稜郭公園へ、息子と散歩しました。そして、この写真~。きれいすぎで、周りの人達もみんな、写真撮っていました。
一瞬ごとに、空の表情が変わっていきます。
その瞬間を逃さずに、ひたすら公園の中を走っては、写真&ビデオを撮り、そしてまた走りました。
寒かったけれど、体はポカポカです。
いい散歩時間となりました。
さて、今日の聖書から教えられたことです。
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
叩きなさい。そうすれば、開かれる。
誰でも、求める者は受け、探すものは見つけ、たたく者には開かれる。
あなた方の誰が、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなた方は悪い者でありながらも、自分の子どもには良い者を与えることを知っている。
まして、天におられるあなた方の父は、求める者に良いものを下さる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と予言者である。
マタイによる福音書 7:7-12
頭でわかっていても、どうせ無理だわ~、と考えたときに、すぐにあきらめてしまうものです。
好きなことを追求したいのに、あの人の方が絶対すばらしいから、自分はあきらめた方がいい、とか。
目の前の壁が大きければ、大きいほど、歳を重ねてしまうと、あきらめてしまうものです。
若いころのように、「がむしゃら」にできないからです。
でも、この年にならないと、分からなかった人生の歩み方やコツも、習得していると思うのです。
知識も知恵も増して、歳を重ねていた方が、生きやすくなっていると、気づく時もあるのです。
だから、若いだけが武器ではないのです。
私は、若いころから、あきらめてた部分があるので、人生がむしゃらに歩んでこなかった気がします。
小学校のときの通知表にも、先生の一言が、「ぬるま湯にとっぷり浸かっているような考え方を持っている」と、言われて、先生に向かって腹を立てた自分がいました。
いつも、そうやって人のせいにしてきたから、自分自身のことを言われている、自分が直さないといけない、とか、頭で考えることができなかったのです。
今になって、ようやっと、その意味が分かるという、なんとも、まだまだ未熟な者です。
さて、聖書には、求めなさい。と、あります。
この箇所は、本当に有名な箇所ですが、どれほどの人が実践をしているのでしょうか。
毎日を惰性や、ルーティン作業で過ごしたら、求めることが分からなくなります。
今の社会は、そんな社会ですね。
だから、日々自分自身に問うのです。
神様が自分を造られた本当の意味を。
神様がくださった使命は、一体何なのかを。
その使命の中で仕事をしていけると、本当に幸せなんだと思います。
使命がある、それだけでも、希望です。
そしてそれが分かったら、自分の考えや興味、ワクワクに従うのではなく、神様がくださる知恵と自信で進むのです。
そうでないと、結局「求めている」には、なりません。
自己満足で終わってしまうからです。
神様がくださる知恵は、この世の最高峰です。なぜなら、神様がこの世界を造られたからです。
その神様の業を、自分を通して成してくださるという事実に、自分をゆだねたいと思うのです。
言葉をいただいたら、自分の中から、奇跡が始まっています。
少しでも、神様の業が見えるように分かってきたら、祈ってみてください。
求めてみてください。
本当の幸せを、求めてみてください。
私も今、それを求めているところです。
あの夕焼けを見せてもらえたら、もう「ありがとう」としか言いようがありません。
奇跡は、起こるのです。信じて求めていけばです。
今日も、本気で生きていきましょう。
Have a nice day!