犬と、とりまく社会
北海道に移住して、田舎生活を楽しんでいますが、ただいま函館市に住んでいて、
微妙な田舎生活を送っています。
都会の要素と田舎の要素が混ざり合っている感じ。
そんな中、本当に田舎生活を楽しんでおられる友人がいます。
我が家から約1時間ほどドライブした場所で、お馬さんがたくさんいます。
秋田犬のサムも同行しました。
お馬さんたち、サムに興味があるようで、ひたすらサムを追っかけてきます。
サムは、頑張って近寄っていきましたが、お鼻でクンクンしているうちに、怖くなって吠えました。
そしたら3頭のお馬さん、一斉に逃げて行ってしまいました…
どっちが強いのだろうか。
そんなことばかり考えていたら、人間社会でも同じこと言えるなと、感じた瞬間でした。
仲良くなりたくても、結局自分が居心地の良い場所でないと、戦いモードになります。
負けたくない、下に思われたくない…とか。
人間って、動物もそうだけど、結局お互いを受け入れ合わないと、共存できないですよね。
自分のイメージで他人をそうだと思い込み、この人なら私の言うことを聞いてくれそうと思って、近寄る。
結局自分のイメージと違ったら、離れていく。。。の繰り返し。
子供社会も、大人もみんな結局、自分の居場所探しで生きている気がします。
お互いをお互いと認め合うためには、まず絶対的な存在がいて、その方に受け入れてもらっていないと、不可能だと思うのです。
背後に神様の絶対的存在があり、自分が存在している価値を深く知った時、周りにそれが可能になるのです。
今日の友人が、「サム、変わったね。落ち着いたね。」と言ってくださいました。
前に行ったときは、サムは吠えまくりで、恐怖心を思いっきりだしていたのです。
今日は、私の横でおすわりしたり、寝たり、私をみて安心して過ごしていました。
サムとの関係が良くなったからです。
だから、サムを見ていても思うのですが、
私が神様を心から信頼し、安心して過ごすときに、社会とのかかわりも変わってくるんだなと感じたのです。
家でくつろぐサムです。
私の横にいる時が一番安心している時です。
そういう関係になれるって、飼い主にとって本当に至福の時。
神様から見た私も、そういう関係を望んでおられると思うのです。
神様を知らない人に、この話をしても、きっと「何のこと?」ってなると思う。
でも、神様は一人一人の心の中に神様の存在があると思えるように、私たち人間をお造りになりました。
だから、わかる人にはわかる話。
犬ぞり
今日のお馬さんの家で、犬ぞり用のそりがありました。
昔、ここのオーナーさんが大型犬を飼っていた時に、雪道を犬ぞりで行ったり来たりしたそうです。
将来的に、我が家のサムも挑戦してみたいと思ってます。
人間と犬がどこまで協力して一つの目標に向かっていけるのか。楽しみです。
操縦するには、バランス感覚が絶対的に必要なので、子供たちにやってもらおうと思うのです(爆)
私は、ただでさえ「めまい」「動悸」があるので…。
いつか雪道を、サムと子どもたちが走る姿を写真とりますね。
恵み深い時間をありがとうございました。