年末の主婦の疲れと、その祈り
しかし、人が主に向くならば、覆いは取り去られます。
主は霊です。
そして、主の霊の在るところには自由があります。
私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ、
栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。
これは主の霊の働きによるのです。
コリント信徒への手紙 第二 3:16-18
最近、鏡を見て自分の顔が疲れ切っていることに、良く気づきます。
大丈夫?私?
みたいな言葉をかけて、昼寝と称して、グダグダ寝てしまう私でした…。
明日は、クリスマスイヴだというのに、お買い物もお掃除も、してません。
我が家は、ドイツ式(ダンナさんの家族のやり方)でやるので、クリスマスツリーは24日の明日に出します。
それに伴い、部屋のスペース確保ともろもろの掃除をやらねばなりません。
そして、また眠くなるというサイクルです。
この聖書の箇所を読み進めていくと、
「顔の覆いが取り除かれる」と。
見るべきところををしっかり見て、目を覚まして希望をもった生き方をするなら、顔の覆いが取り除かれて、自由の中で生きることができる、と言っているのです。
神様は、ただ愛の方であり、私たちが本当に心から神様の愛を求めて祈ったら、聞いてくださる方です。
だから、疲れ顔の私。
こう祈りました。
神様、日々のやるべきことで、頭の中がいっぱいになり、
神様のご愛を感じることができません。
力もなく、ただ眠いばかりで、希望も何も生きていることすら、惰性になっています。
神様が、目に見えない存在で、今ここにおられることを、教えてください。
神様に感謝して、力をいただき、立ち上がることができますように。
この年のクリスマスの時を、ありがとうございます。
イエスキリストのお名前でお祈りします。アーメン
このお祈りの時間と、その後の行動で、本当に変わるのです。
そして、私たちの内なる人は日々新しく造りかえられていくのです。
だから、年をとることに、恐怖も何もありません。
健康があり、動ける力があることで、神様のために生きることができるのです。
皆様にとって、良きクリスマスの時となりますように。
神様のご愛を深く、知れるチャンスとなりますように。