不安な社会の中で
今日は、最近思うことを書いていこうと思います。
函館に引っ越して、もう半年が過ぎてしまいました。土地勘(どこに何がある)という感覚は、だいぶつかんできましたが、まだまだ場所を言われても、分からない…。
子供たちの学校が楽しくて、笑顔で帰宅する姿をみて、こちらも元気をもらっています。
そんな中、色々ともんもんとすることも多々あるのです。
どこへ行っても、みんな暗い
時代がそうなのか。コロナの自粛だからなのか。
みんなうつむいている人が多いですね。周りを見ても、自分を見ても…。
戦争中、とも言われている今の時代。
私は、テレビもニュースも、あまり見ないのですが、ずっとテレビを見ている人は、本当に世の中の不安ばかりを、背負っている気がするのです。
周りの言動が気になったり、ささいなことで自分を責めたり。
特に、家にずっといると、みんなどうしたらいいか分からない人多いのではないでしょうか。
この間、スーパーで買い物をしていた時の話です。
3歳くらいの子どもの鳴き声がしました。見ると、5歳くらいのお兄ちゃんと、二人で一生懸命にお母さんを追っかけています。
お母さんは、「あんたなんて、もう知らない!そんな物買ってあげない。なんで、勝手にそんなものを持ってきたの!!」と、
すごい大声で怒鳴っていました。
子どもは、その持っている商品を棚にも戻せずに、ひたすらお母さんを追いかけていました。
私は、ただただ、子どもがしっかりと愛情深く育ってほしいなと、心から願うのでした。
みんな不安の中で生きている
現実逃避~といって、おいしいもの食べたり、素敵な場所へ出かけても、結局「不安」というものは、自分に追っかけてくるものです。
どんなことがあっても、何をいわれていも、人ってそんな簡単に「幸せ」になれる者ではないでしょう。
お金持ちでも、好きな人がそばにいても、自分の中から出て来る不安からは、逃げられません。
だから、もがいているのです。
探しているのです。
自分の心のよりどころを。
それを探すために、お金をつぎ込んで、時間を費やして、本当に見つかるのでしょうか。
静まること
何事も、プレッシャーがかかるときって、自分の中の声がうるさいときです。
ストレス社会の中で、情報だけが先走っていて、自分の声を聴く時間がまったくないのではないかな、と思うのです。
そう。自分の声。
叫び。
そして、自分のドロドロの姿。
聖書の神様は、静まりなさい。と、おっしゃっています。
静まるとは、自分のかりたてる声を、まず消すのです。
だまるのです。
自分の心に向かって、「だまれ」と言ってみるのです。
そうすることで、本当の自分の姿が見えてきて、命が与えられていることを、知ることができるのです。
あなたは誰にもコピーできない
あなたは、あなたなのです。
世の中が、こうしたらいい、ああしたらいい、とか騒ぐけれど、そんな情報に一切耳をかたむけない方がいいです。
今、何をしたいのか。
静まることで、見えて来る自分がいるはずです。
恐れや、不安をまず消して、自分の声を聞いてみてください。
必ず、自分に出来ることがあり、それを守らなくてはいけない使命もあるからです。
今、不安の時代のなか、嘘ばかりの情報の中、信じられるものは、目に見えない神様だけです。
それもただお一人の、聖書の神様だけです。
なぜなら、聖書の神様は、「私は、アルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。」からです。天地万物の創造主だからです。
私は、神様に本当に助けられ、命をいただいているのです。
見たこと、聞いたことを、話さなくてはいけないのです。
一人ひとりが、自分の使命に気づき、豊かな人生を生きることができるように、お祈りします。