突っ込みどころが満載
昨日の夕焼けも、きれいでした。
昨日は函館市にある、緑の島という場所へ、息子とお友達と一緒に行ってきました。
コロナ禍で、制限の中で生活し、そして今制限が少しずつ解除されつつあるような、ないような中で、過ごしている今。
何が良くて、何が悪いのか。
全く持って、分からない。
マスクが良くて、レストランでの食事以外は、マスクをしましょ、というポスター。
布マスクは、ダメで、不織布マスクは良い。
手の消毒をして、スーパーのカートに「消毒済み」の列から、使用済みのかごを使う。
窓を開けて、換気を定期的にするけれど、外でもマスクをしてランニングする。
外気がそれほど汚染されているみたいです。
相手がマスクをしていて、自分がしていなかったら、相手に失礼なのか。
ある人は、こういう。
ある大学の先生は、ああ言う。
えらい人は、こういう。
学校の先生が、お勧めする。
職場の怖い上司が、命令する。
だから?
マスクの内側の菌の方が、よっぽど汚いよ。
同調圧力。
世間体。
本当に、だまされているのは、誰なのか。
ああいえば、こういう。
突っ込めば、違う視点から、また同じような理屈がくる、ということ。
学校で学ぶ、作文や論文は、そういう屁理屈を言えるように、訓練するためなのかな。
周りが言うから、有名な学者が言うから、親が言うから、と。
色々な人に耳をかたむけていたら、自分の健康が損なわれることだってあると思うのです。
だって、自分の身体の痛みや心の気持ちは、自分にしか分からないことでしょう。
おトイレへ行きたくなるときに、いちいち周りに意見求めますか?
自分の身体は自分で守らないといけない。
だから、このコロナ禍の対策は、嘘くさいのです。
インフルエンザが流行ったときは、それぞれが対策をしていたのに。
身体の免疫力をつけて、たくさん寝て、たくさん笑っていたのに。
すべて、デジタル化されて、夜もゆっくり眠れない世の中に。
空を見て、きれいだなと思う人が、いったい何人いるのかな。
空をみて、携帯を見て、不安になって、心配をしている方が、日常になってきていると思うのです。
だから、
すべてに耳をかたむけなくて良いのです。
自分の心の言葉に、耳をかたむければいいのです。
不安要素は、外からくる。
だって、マスク買ってほしい企業がたくさんあって、スマホのアプリで聞いてほしい企業もたくさんあり、物を買ってほしい企業が、わんさかいるからです。
企業の、企てた業に、引っかかってしまうからです。
本当は、シンプルで、きれいな世の中なのです。
汚染なんて、されていない。
人間の口からでる、ごまかしや嘘が、人間を汚しているだけだと思うから。
自分の今の心を、探ってほしいと、願うのです。
本当は、どうしたいのか。
本当の私は、今どうすべきなのか。
周りの意見や、会社のロボット君として生きていくのではなくて、自分の好きなこと、得意なことで、周りを喜ばすことができれば、それが一番の平和になるんじゃない。
空をみて、今日の命をありがとうと、言いながらこの先過ごせたら、自分が変われるはず。
『心の貧しい人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである。
その人たちは、なぐさめられる。
へりくだった人々は、幸いである。
その人たちは、地を受け継ぐ。』
マタイ5章3節から5節
作品番号21番。
自分の得意なことを、やり続ける力は、やっぱり上からいただくから。
今日を生きる力、やり続ける力。そして
心から感謝する力。
それは、自分の心の中に、誰にでも与えられている力。
今日も素敵な日を。