任せられている使命は、一人ひとりで気づかないといけない

聖書のみことば

もっとも、満ち足りる心を伴った敬虔は、

大きな利得の道です。

私たちは

何も持たずに世に生まれ

世を去るときは

何も持っていくことができないからです。

食べる物と着る物があれば

私たちはそれで

満足するべきです。

金持ちになろうとする者は

誘惑、罠、無分別で

有害なさまざまの

欲望に陥ります。

テモテへの手紙第一 6章6節~9節

昨日の夕焼けも、素敵でした~。

秋の夕暮れは、本当に最高にキレイです。天の画家である神さまのアートです。

そして、いつも思うのが、このアートよりも最高なものは、自分であること。

神様は、自分を神様の傑作として、お造りになったのです。それを、いつも気づけていないのです。

神様は、私にたくさんの物をゆだねています。

ゆだねるとは、任せてくれている、任命してくださっている、という意味です。

ゆだねられた物を守りなさい。

聖書を読んでいると、そんな言葉がたくさんできてきます。

私が、そういう風に神様から教えていただいているからです。どこの箇所を読んでいても、

『ゆだねられた物を守りなさい』と、聴こえて来るのです。

私にゆだねられた物があるのか、どうか…。

これです。

自分の好きなこと、得意なこと、何が神様から任されている使命なんだろ、と思うのです。

子供のころから見ていた夢、悩みながらもいつも音楽の道へと戻っていった自分。

でも、能力無いから、下手くそだからとか、いつもなんとなくで終わっていた、私の使命。

そう。

私は、ずっと他人任せで生きていたのです。

こうしたら、どうなるかな。

ああしたら、道が開けるかな。

なんて、なんとなくで生きているのです。

ご縁だから、といって、誘われたままで生きていたら、どこに主体となる物が見つかるのでしょうか。

今の世の中、会社を辞めるはめになった人、心配事で生きている人。

たくさんいると思います。

でも、自分で蓋をしてしまった、自分の夢や想いって、絶対あるのです。

日本は、どうしても小中学校での教育で、みんなと同じテストを受けて、みんなと同じように成長させられます。

だから、消されちゃうのです。

自分の得意なこと、興味があることが、消されちゃうのです。

その親たちも、むなしいのです。

一人ひとりに与えられている物

一人ひとりが、自分の得意なことや、やりたい事に打ち込むことができるのなら、

本当に社会が明るくなるでしょう。

しかし、そんな簡単ではないですね。

みんなと同じように生きて、みんなと同じように考えて、

みんなそうだから、自分も我慢して

みんなが言うから、そうと思うって。

どこまでエンドレスなのー。って思うのです。

一人ひとりに与えられている物を、まず悟って

そして、それで生きることをしていかないといけないのです。

生活していくためのお金、そして様々な将来への心配で、今できることが

お金を稼ぐことに限られてしまうけれど、

1日24時間を与えられている自分に、

せめて、1時間だけでも自分にゆだねられている物を

のばすことはできないか、と思うからです。

そうやって、自分と向き合って、神様と対話していくことが

とっても大事です。

聖書は、やっぱり本当のことが書かれています。

しかし、それを理解できる人とできない人がいるのです。

だから、RAPTブログにその解き明かしが書かれています。

今日も、素敵な日を。

そして、少しでも不安や心配ごとから解放されますように。

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