感情にだまされないで、まずは霊の救い
誰も、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、
一方に親しんで他方を疎(うと)んじるか
どちらかである。
あなたがたは、
神と富とに仕えることはできない。
マタイの福音書6章24節
この聖書の箇所は、今の自分にずっさりとくる言葉です。
なぜなら、私には二心も三心もあって、最終的にいつも
自分の得すること、お金とか幸運とかを選んでいるのです。
神様は、目に見えないけれど、この世の考えや生き方、そして私の無知を、ことごとくご存知です。
聖書に書かれている、神様の言葉は、本当に次元が高く、人間が理解できるまで、どれほどの時間と経験を費やせば、分かるようになるのでしょう。
聖書を初めて読む人にとっては、なおさら、なぜこんなことが書かれているのか、理解できない人も多いと思います。
私もその一人で、みことばの解き明かしをしてくれる人がいないと、本当に分からないのです。だからと言って、教会へ行って、一生懸命神様の言葉を聞きに行って、教会へお仕えしても、理解できるかというと、そうでもありません。
一人一人が、神様から語られる言葉があり、それを悟る必要があるからです。
私は言います。
霊によって歩みなさい。そうすれば、
肉の欲望を満たすことは決してありません。
肉の望むことは霊に反し
霊の望むことは肉に反するからです。
この二つは互いに対立し
そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。
ガラテヤへの手紙5章16~17節
ここで書かれた手紙には、「肉」と「霊」と、二つでてきます。
そして、この二つは、自分の中で対立すると書かれています。
肉は、分かるのですが、霊は、分かりにくいですね。
肉よりも霊の方で生きていきなさいと、言われるのです。
だから霊をまず、知らないといけないのです。
教会では、その霊を育てること、霊が救われることを、あまり重きを置かずにして、
「こうしなければいけません」と、ルールばかりを説明するので、
どこをどうやって、霊で生きるのか、分からないのです。
私は、RAPTブログでそれをはっきり教えられました。
私は、教会に対して、本当に不信感があり、日本の一般社会よりも、腐っていると感じていました。
何をしても、何をされても、えらい人の都合のいいように、物事が言いくるめられていて、周りの信徒さんも、毎日の戦いが苦しく、愛に飢えている人ばかりを見てきました。(そういう風に私の目には映りました)
だから、本当の魂の救いが、隠されてきたのです。
人々は、支援金、生活金、そして贅沢するお金を必要としています。
それを目の前に見ることができたら、神様をほめたたえるのです。
これでは、逆を行っているのが分かりますか。
本当は、霊によって生きなければならない、と言うことなのです。
自分の欲望を満たす行為ではなく、神様に愛されているという、喜びから救われて、そしてその喜びが溢れて行った先に、周りへの愛がやっと発生するのですね。
こうしたら、モテる。とか、
困っている人を助けたら、周りから褒められる、という動機では、何も受けることができないのです。
今の時代だから、心や感情でだまされる
ここ最近は、「引き寄せの法則」とかで、ワクワクの感情とか言われますが、
感情を使って、色々な悪がはびこっています。
「困っている人を助けてください」
病気の人の写真を見せられて、お金を集めている集団や、
子どもや高齢者を使って、ストーリーを組み立てられたニュース記事。
そうやって、人々の心が、盗まれているのです。
だから、あまりそうやって感情を丸出しにする記事は、読まない方が良いです。
自分の霊が、救われていないのに、どうやって他人を救えるのか、ということです。
肉から生まれる言葉が、どれほどの人達に影響を及ぼして、苦しめているのか。
最近のコロナ情報は、それが浮き彫りに、分かるのです。
分からない人には、分かりません。
しっかりと目を覚まして、今起きていることを知らないといけないのです。
だから、聖書のことばに戻って、自分の視点と考えを矯正する必要があるのです。
まわりの言葉や、気持ち(嘘が多い)に騙されないで、真実の言葉に耳をかたむけてほしいと、心から願っています。
今日も本気で、素敵な日を!