心の目を覚まして
愚か者は心の中で言う
「神などいない」と。
彼らは堕落し、忌むべきことをした。
善を行うものはいない。
主は天から人の子らを見下ろし
神を求める悟りある者はいないかと探られる。
すべての者が神を離れ、ことごとく腐りはてた。
善を行う者はいない。一人もいない。
悪事を働く者たちは誰もこのことを知らないのか。
パンを食らうように私の民を食い尽くし
主を呼び求めようとはしない。
だが、彼らは恐れおののくことになる。
神が正しき人の輪の中におられるから。
詩編14編1節~5節
この詩は、昔イスラエルの王だった、ダビデが書いたものです。
どんな地位を築こうとも、どんな思いを抱こうとも、彼の周りにはいつも、彼の敵があり、命を狙われていました。
そして、ダビデはいつも、神様を信じて戦っていった戦士だったのです。
神様が正しき人の輪の中におられる。
これほどの安堵は、他にはありません。
いつも誰かが殺されたとか、誰かが責めてきた、うその条件を突きつけられて、自分が悪者になった。
正直な気持ちを話せる信頼できる友さえ、敵だったという経験。
ダビデの生涯は、ずっと戦いだったのです。
正しい人の中におられる神様。それは、今の時代も同じです。
自分の心にうそをつかないで、正直に生きていくときに、必ずぶち当たる壁があり、それを乗り越えていく過程の中に、神様は必ずおられると思うのです。
自信が持てなくて
私の人生を振り返るとき、いつもいつも恐怖がありました。
今ある家族がいなくなったら、どうしよう、とか。
お金がなくなったら、どうしよう。
大好きな人から嫌われたら、どうしよう。
色々な不安は、シャワーのように降りかかり、それを回避するかのように、関係のない仕事や、おせっかいに走ったりするのです。
そうしていくうちに、何が正しくて何が悪いのかも、判断ができなくなるのです
だから、不安になったときに軸をしっかり持つこと。
よく、自分軸と言いますが、私はその軸さえも分からなかった時がありました。
なぜなら、他人の判断や顔色で、行動していたのですから。
自分軸をたてるためには、自分のことを造ってくださった神様に戻る事です。
神様の深いご計画をしるときに、何が正しくて、何が悪いのかが、分かってくるからです。
その中で歩むとき、自分も正しい人に変えられて、正しい人の輪に住む神様に出会えるのです。
いつも目を覚ましていること
体が疲れていると、もちろん眠いのですが、疲れすぎていて目がギンギンになって、返って眠れないという経験もあります。
目を覚ます、とは、体が起きていることを、指しますが、心の目がさえることも言うと思うのです。
真実をしっかり見る目。
だまされない目。
常に準備している目。
それは、心で見る目ですね。
その心の目を、常に覚ましていること。起きていることだ大事なんだと思うのです。
そのためには、やっぱり影響の大きいテレビとかネットは、ほどほどにしないと、まどわされます。
おしゃべりな人にも気を付けた方が良いです。
他人ばかりを干渉して、自分のことは何にも分かっていない人も、たくさんいます。
まずは、自分の心です。
神様の愛が、よく分かるように、聖書を解き明かししてくれている人がいます。
目を覚ますことは、自分の心が欲するものが分かることです。
自分の生きている意味も、深く考えて生きている人です。
神様の裁きの時に、言い訳できないのです。
今日も本気で過ごすことができますように。