Mitscoの生い立ち~その2

前回の続き

自分がアメリカへ留学したかった一番の理由は、『日本から脱出』したかったからです。

なぜなら、日本にいるとなぜか、窮屈な思いがして、周りに合わせなくてはいけなくて、学校の先生たちは、自分たちのお金や名声のことしか、気にしていなくて。

なんか、大人の世界を見ていると、嫌な気分になるばかりだったのです。

ハリウッド映画で観る『アメリカ』は、自分の中で自由そのもので、自分もその世界で生きていきたいと、本当に心から思ったのでした。

英語が分からなくて、日本に帰りたくて

英語も話せなくて、日本語を話せる友達と付き合って、自分はいったいなぜアメリカに来たのか分からなくなりました。音楽を勉強しに来たのに、ピアノをもっと上手になりたくて、ここに来たのに、自分のホームシックゆえ、勉強も手につかずに泣いて泣いて泣いた日々を思い出します。

国が変わるということは、自分自身のアイデンティティ、自分のあり方自体が変わるということ。

自分は、言語の障害者になったんだと、自分に言い聞かせて、周りに助けてもらうように頼みました。

アメリカ人って、助けてくれることが、その人の喜びなんだ、とよく言ってくれます。

だから、日本人みたいに、なんか頼むの申し訳ないな、と感じている方が、喜びが半減してしまうのです。

私は、周りの友達や、自分に興味を持ってくれる人をなるべく多く作りました。

ピアノは、そのための手段だったと思います。

音楽は、心直結なので、言葉が分からなくても、皆笑顔になります。

私は、そこに『神様の存在』を見いだしていったのでした。

鳥肌の立つ音楽、鳥肌の立つ感覚に、必ずあのお方の存在があるからです。そして涙と共に、私を愛しているんだよ、とそう聞こえてくるのでした。

アメリカ留学時代の時が、一番孤独を経験したけれど、神様のご愛が本当によく分かる時間でした。

恋愛が自分をダメにした

留学時代、お付き合いした人がいました。その人のことを考えると、もう勉強どころじゃなくなってしまいました。

本当に、今思うと、時間どろぼう、エネルギーどろぼうです。

ハリウッド映画の洗脳もありました。だから、恋愛が美しい。恋をするとカッコいい。色々な経験をしてみたい。とか、自分の欲求がもう止まりませんでした。

神様のご愛があるのに、人間の愛を追求し、結局傷ついて泣いて、終わるだけでした。

神様は、そんな私がダメになるのを、ずっとご存知で、私とその彼は、ずっと長い間、遠距離恋愛を強いられました。私は、それでも彼にしがみつき、どうにかして一緒になれないか、模索するのでした。

しかし、その距離と時間は、やはりお互いにとって大きな穴でした。

今思うと、その人ともし、結婚していたら、きっと離婚していただろうな、とつくづく思います。

留学先のアメリカ人

私は、留学した大学も、クリスチャンの大学へ行きました。

一応、みんなクリスチャンでないと、入学できません。自分と神様の関係とかを、作文で願書と共に提出しなくてはいけなかったので。

私は、アメリカ人の学生も、教授たち、そして近所のおばさんたちにも、よく助けていただきました。

アメリカは、インディアナ州といって、本当に田舎町で、しかも都会のインディアナポリスから車で2時間くらい走った、信号もなにもない、ただのトウモロコシ畑の中にある大学でした。

大学内はキレイでしたが、外に出ると、貧困の差もあり、建物や家なども、すたれていました。

その中で、ピアノからパイプオルガンへと専攻を変え、教会の大チャペルで、日々練習する日本人は、本当にめずらしい存在だったのでしょう。

地元の教会からも、声がかかり、オルガニストとして一年間だけ働かせていただきました。

音楽が本当に、自分の心を変え、音楽を奏でている時間が、本当に神様と一緒にいる時間だったように思います。

自分の弾くオルガンが、人々の心に突き刺さっては、泣きながら私のところに、感謝の言葉を言いに来てくれる人も何人もいました。

その人達を見るだけで、『あ。神様いる。私の中で働いている』と思ったのでした。

クリスチャンと言いながら、神様が分からない

キリスト教会の中でも、色々な宗派があり、色々な神様に対する考えもあります。

特に、ここの大学は、そんな人たちが集まる大学で、神様のために働きたいという思いを持った学生が多くいました。

卒業後は、宣教師や牧師になる人もたくさんいました。

だから、音楽を勉強する学生も、神様をぬきにしては、学べなかったのです。

しかし、結局は、みな人間です。

言葉では、素晴らしいことをたくさん言いますが、毎日がむなしく過ごす人もたくさんいました。

顔つきも、にらみ顔だったり、憂い顔だったり、頼る人は、お母さんであったり、クリスチャン大学と言えど、みんな何かに頼って、失わないために一生懸命だった気がします。

要は、どこでも、何をしていても、人間とは…同じであったのです。

牧師が、先生が、自分の心にぴったりな言葉を言うと、みんなその教会へ行くのです。

自分の心が救われるために、誰かに、団体にすがり、仲間になるのです。

だって、一人でいるということほど、怖いものはないですから。

マイノリティでいること

Minority.

少数派でいること、Majorityではないということ。

これには、色々な考えがありますが。私は、少なくとも小さいときから、マイノリティでいました。

小さいとき、クリスチャンホームであったので、日本の学校行事で行くお参りや、お祭りには参加できなかった。

中学生のとき、京都への修学旅行で、座禅を組むことも、許されなかった。

高校のとき、アメリカ留学と進路を決めた為、大学受験組に入らなかった。(私だけ一人)

大学のとき、アメリカで、日本人であるゆえ、変な英語を話るから、仲間がいなかった。

そんな風に育ってきたから、私はどこにも属さないのが、当たり前と思っています。今も。

自分は、少数派の者であるから、一人でやっていかなくてはいけない。

社会で、みんな同じじゃなくてはいけない、という考えに、どうしても反発せざるを得ないのです。

そんな自分が、5年間の留学を終え、日本に帰国しました。

逆カルチャーショックの始まりです。

続く

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