神さまからの称賛を得るために走り続ける今日の日

聖書のみことば

今私は人に取り入ろうとしているのでしょうか、

それとも、

神に取り入ろうとしているのでしょうか。

あるいは、人の歓心を買おうと務めているのでしょうか。

もし、今なお

人の歓心を買おうとしているなら、

私はキリストのしもべではありません。

ガラテヤへの手紙1章10節

私は、この聖書の箇所をよんで、衝撃でした。

なぜなら、ほとんどの人の手の働きって、人の歓心を買わないと成り立たないから。

人の歓心を買って、人から称賛してもらって、人に買ってもらう。

そして、自分にその恩恵が来る。

なーんて、人として思っていました。

しかし、聖書にはその逆が書いてある。

キリストのしもべって、一体どんな人を指すのでしょうか。

自分の心の奥にある心情

この心の底にあるものって、人には言えない、もしくは説明しにくい、複雑な感情があります。

あの人の態度がこうだったら、私も救われる、とか。

この人さえいなければ、私はもっと『かわいく』なれる、とか。

あそこの異性が、こちらを見てくれたら、私は幸せ、とか。

すべて、他人の態度で、自分の気持ちが浮き沈みしてしまいます。

なぜなら、人の愛情を頼りに、生きるからです。

人から良く言われたら、本当にかわいくなって、幸せになって、お金持ちになれるのでしょうか。

人の心情なんて、相手になりません。

一瞬ごとに、変わるのですから。

本当の心の底にある自分って、『変わる事のない愛』を求めているはずなのです。

目に見えない神様の愛は、目に見える人の愛から少しずつ学べる

親になると、神様のご愛を深く知れるよ。と、良く言われたものです。

しかし、私は親になる前に、兄弟、恋人、友人からも、たくさん愛情を頂きました。

愛といっても、恋愛の愛じゃなくて、本当にその人を尊敬する愛です。

困っているときに、見知らぬ人が助けてくれた愛もありました。

存在を、そのまま受け入れてくれる愛です。

これは、助けられた人は、何かお返しをしたいと、考えるほど、その人のことを愛情で返したいと思うのです。

目に見えない神様、聖書の神様は、たったお一人で、自分のために愛してやまない神様です。

自分が気づけないこと、神様からたくさん助けられているのに、神様にお礼をお返ししたいと望むのですが、一歩歩くと、その恩を忘れてしまうのが人間です。

目に見えない神様は、私たちの心の奥底を深く知ってくださる方です。

そして、一緒に泣き、一緒に歩み、神様のご愛を深く知れるように、教えてくださるのです。

独りぼっちではない

神様が私を造られ、私の隅々まで知っていてくださると、思うとき、

孤独が無くなるのを経験しました。

アメリカに住んでいた時、本当に孤独を感じました。

ドイツで結婚で行ったとき、孤独というものよりもっと、深い谷間にいた気がします。

日本で社会人をしていた時、誰からも理解をしてもらえない時、落ち込んでどこかへ行ってしまいたいと、考えました。

北海道で、吹雪の中、子どもを連れて、生活の知恵が分からず、ひたすら泣きました。

そんな時こそ、神様が横にいてくれたのです。

神様が、私には耐えられないような状況にはもっていかず、むしろ神様を深く知れるように、近所の人や友人たちを、その時その時に送ってくださいました。

神様のご愛からはなれることはない

絶対的に存在する神様が、自分を愛してくださっていると知れるとき、

そこには、神様からのプレゼントがあります。

深いご愛の中で、生きていると、

人からの目線を気にしなくなります。

しかし、100%そうだと、言ったら、私の場合、うそになります。

だって、本当に人の目を気にしなくなったら、こんな弱い自分ではないはずだし、

ちょっとでも、他人に言われたら、落ち込まない自分がいるはずなのに、落ち込むから。

目に見える現実に、どれほど左右されてしまうことでしょう。

頭では分かっていても、神様はすべてお見通しです。

だからこそ、神様から力をもらって、常に神様にお祈りしなくてはいけないのです。

そして自分の心が、間違った方向へ行ってしまうものなら、聖書のみことばで、正してもらうのです。

今日の衝撃のパウロの言葉、

『人から歓心を買おうと務める』ほど、無駄な労力であると、つくづく思うのです。

悩んでいる人は世の中、ほぼ全員

『幸せ』を感じることは、何ですか?と、聞かれて

答えられる人は、いますか?

日常の中で、足りないものを補うくらいの幸せで良いのでしょうか。

お金が欲しい。

異性にもてる。

時間に余裕がある。

人気者になる。

それらが本当に、幸せを運ぶのでしょうか。

絶対的な、裏切りのない愛で、自分のことを深く理解し、自分が死なないように、すべての罪を背負い、どんな迫害にも耐えて、弱い人の気持ちを自分のことのように悩み、そして私をおんぶしてくれる人がいるのです。

それを、深く知れることが信仰なのです。

その信仰を神様からいただくのです。

だから、私は祈ります。

どんな人も、つらい思いを抱えていても、信仰をいただけるように。

人からの称賛なんて、3日で消えます。

神様からの称賛を得られるように、走り続けるのです。

今日という日が、神様からのご愛を深く知り

悩みの中にあっても、解決を見いだす力を受けられますように。

知恵をいただけますように。

Have a nice day!

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