【その6】北ドイツと南ドイツのオルガン事情

前回に引き続き、バロック時代のオルガンを取り上げます。

宗教改革によって、人々の礼拝スタイルも変わり、オルガンがリードする礼拝となっていったオランダ。

そして、今回はドイツ事情です。

前回の記事はこちら。

≪北ドイツ≫シュニットガーのオルガン

17世紀ころ、30年戦争というものが起こりました。

それによって、ドイツ中部と南部が非常に荒廃したと、言われています。

その地域にいた、優秀なオルガンビルダーたちは、北ドイツへと移住していきました。

代表的な家族は、ヘッセン出身のコンペニウス一族、ザクセン出身のフリッチェ一族です。

ヨハン・ハイリッヒ・コンペニウス

ドイツのハレ(かのヘンデルの生まれた地です)にあるモーリツ教会のオルガンを製作しました。

このオルガンは、「シャイト」を演奏するのに、欠かせないオルガンです。

シャイトは、下記参照ですが、モーリツ教会のオルガン奏者です。

Samuel Scheidt
(1587―1654)

17世紀ドイツで活躍した作曲家、オルガン奏者。シュッツ、シャインとともに17世紀ドイツの「三大S」の一人。1603~08年、生地ハレのモーリッツ教会オルガン奏者を務めたのち、アムステルダムに留学しスウェーリンクに師事、翌09年ハレのモーリッツ城のブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ウィルヘルムの宮廷オルガン奏者に就任、20年には同宮廷の楽長となっている。24年に出版した3巻からなるオルガン曲集『タブラトゥーラ・ノバ(新譜表)』は重要な業績である。シャイトはこの曲集で、ドイツ伝統の文字譜にかわり、イタリア式の五線譜を採用している。28~30年にはハレ市音楽監督を務め、54年3月24日、同地で世を去った。

以下写真は、モーリッツ教会ではないのですが、シュニットガー血族が製作したオルガンの写真です。

Huss Schnitger Orgel

両脇に、ペダルのパイプ郡(長いやつ)があり、真ん中上下に、ハウプトヴェルク(主鍵盤)、フルート管などをそろえたオーヴァーヴェルク(上部鍵盤)など、配置が見て取れます。

下記写真参照。

当時は、こんな感じだったのが

現代では、ケースも新しくきれいになっていますが、基本的なパイプの発生方法や調律方法は変わっていません。

St. Jacobi Hamburg, Arp-Schnitger-Orgel

17世紀後半の最大のオルガンビルダーと呼ばれた、アルプ・シュニットガーが製作しました。

彼は、勉強家で当時の北ドイツのオルガンの傾向をまとめて、『北ドイツオルガン』と言われる、一つの型を作り上げたそうです。

シュニットガーの作品といえど、ほとんどが16世紀ころに造られたオルガンの改造版で、音響を幅広く表現していきました。

こんな音がいい、あんな音があればいい、という人々の声をまとめ上げ、非常に大型オルガンになり、派手で美しく、技巧的で音の響きも大変豊かになりました。

改造しまくった結果、どれがオリジナルなシュニットガーの作品なのか、研究者たちも断定しにくいものになったそうです。(どれだけの時間かけて改造したの?!)

下記、北ドイツオルガンの主な特徴です。

  1. 手鍵盤に、倍音効果をもたらし、それぞれ独立した小オルガンがある。
  2. 所属のストップに、パイプと風箱が一緒のケースに入り、『ヴェルク』と呼ばれる。
  3. 足鍵盤のストップのパイプは、オルガンの両脇に分けて配置され、塔型のケースに入り『ヴェルク』を形成する。
  4. 各オルガンは、3個以上『ヴェルク』を持つ。
  5. 各ヴェルクは、各プリンシパル・ピラミッド形成と、二つのミクスチュア、フルート系とリード系のストップで構成される。

などなど、まだまだ型の条件はありますが、読んでいて眠くなる人もいると思うので、ここまでにします!

要するに、オルガンの全体の響きが、各パイプ郡から発声したときに、一つに聴こえるように、パイプたちを配置しましょ!みたいな話です。

北ドイツは、レンガ造りで木の天井を持つ教会堂があり、レンガ造りの建物は、反響が少なく、パイプが広がって配置されている場合の演奏は、ステレオのような効果があるのです。

このようなオルガンは、鍵盤やヴェルクの増設、ストップやパイプの付加改造が簡単にできたのです。

だから、シュニットガーたちは、さかんにオルガンを改造したのです。

車の改造も、男の楽しみなように、オルガンビルダーも、反響音を楽しんで、音の世界で自己陶酔していたのでしょうか(爆)

ただ、このオルガンの欠点は、カプラー(鍵盤と鍵盤を結合するスイッチ)の不具合が頻繁に起きて、音が分離して聞こえてしまうのです。

カプラーは、使用不可になり、このタイプのオルガンは、18世紀になると、ほとんど製作されなくなりました。

≪北欧型≫リューベックを中心としたオルガン

北ドイツの東部、バルト海沿岸部は、西部の北海沿岸地方と比べて、事情が違っていました。

ここら辺は、スカンジナビア諸国の文化圏であり、各国の音楽文化を移入し、とくに南欧の音楽に親しんでいました。

バルト海航路の起点であるリューベックに、その文化は良く表現されたようです。

トゥンダー、ブクステフーデ、ブルーンスなどの音楽家たちは、北欧出身にもかかわらず、南欧イタリアの影響が深い作品を書いています。

シュテルヴァゲン

リューベックにあるオルガンを修復したオルガンビルダーです。

聖マリア教会など、大掛かりな修復を手掛けました。

彼は、中部ドイツのマイセン出身なのですが、バルト海沿岸の都市にも名作を残しました。

彼のオルガンは、ザクセン風のオルガンと含まれたので、学者によってはこの地方をポーランドと共に、中部ドイツ型とざっくり分けられようです。

カトリック系の≪南欧型≫

17世紀の南ドイツ、オーストリア、チェコあたりの地方オルガンは、北欧の『北ドイツオルガン』型とは、全くちがいました。

この地域は、イタリアの影響もあり、教会音楽もカトリック系がさかんでした。

北ドイツは、コラールを基本とする音楽。

南ドイツは、グレゴリオ聖歌を主流とする典礼音楽。

このグレゴリオ聖歌を歌うオルガンは、『ハウプトヴェルク』(頭の仕事)に対する『リュックポジティブ』(背中のポジティフ)が小型に造られているのです。

さらに、『ブルストヴェルク』(胸の仕事)はプリンシパル系のストップを持たずに、独奏鍵盤の性質を持っていました。

足鍵盤は、低音だけを持っていたため、音域は狭かったようです。

ハ~ややこしいですね。

写真を見ると、ハウプロヴェルクがど真ん中にあって、両脇にブルストヴェルクが構えています。

写真から、なんとなく分かりますか?

真ん中に『ハウプトヴェルク』がドッカンとあって、両脇に小型の『ブルストヴェルク』があります。

オーストリアのオルガン

ハプスブルクの基本音栓、というものがありました。

これは、4種のフルート管を8フィートと4フィートに持ち、プリンシパル管とほかの管、弦楽器の音色のストップが使用されています。

中心のオルガンビルダーは、パッサウ、プッツ、フロイント(ウィーン)、エゲダッハー(ザルツブルク)。

主な音楽家は、フローベルガー、ケルル、ムッファト、パッヘルベル(あのカノンで有名)など、南ドイツの音楽を支えました。

とにかく、音色が豊か、ストップ数もたくさんありました。

まとめ

今日では、人々の好みで、オルガンの形や音色が決められていますが、17世紀のバロック時代では、教会の在り方、宗派、典礼によって、音色が造られていきました。

北と南でも、全く違ったオルガンが存在し、ドイツの民族だからこそ、繊細な部分までこだわって創り出された音は、歴史の上でも、人々の心に響きわたりました。

また音楽家も、そのオルガンに合った音色を使って音を書き並べ、オルガンの特徴が100%生きる音楽が生み出されたのも興味深いです。

現代では、パイプオルガンを日本で新しく買う教会が少なくなっていますが、そのオルガンのルーツを見ていく時に、オルガンの意味とその役割が礼拝には欠かせないものと、感じています。

オルガンビルダーが創り出す、オルガンの響き、オルガンの音や発音は、電子オルガンでは絶対に真似できない音であること、そしてその職人の手の技は、一人一人違うと思うのです。

オルガンビルダーって本当に、深い!世界のオルガンビルダーが学びにくるドイツは、本当にオルガンの国だったのですね。

今日も、長い文章をおつきあいくださり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに。

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