ただ一つの目標
今朝の五稜郭公園、とてもきれいでした!
日差しが本当に美しいし、空気もおいしいのです。
サムは、こんな調子でした。
サム、リラックスしていたようで、いつもの警戒している姿はなく、
信号待ちにて、ゴロゴロしてました。
なんともマイペース。
それでも、真剣に本気で生きています。
何よりも、飼い主(私)を守ろうとして、あらゆる物体に威嚇します…。
仲良くなろうと、近寄って来る人、散歩中のワンちゃんたちには、本当にご迷惑をおかけしていますが。
大きな通りを歩いているときは、車からドライバーが大注目して、たまに信号待ちの時に、
窓を開けて、大声で
「なんてかわいい、きれいなワンちゃんなの!」と
叫んでくださるのです。
サムは、笑顔でベロを出しながら、ドライバーを見続けています。
サムの半径1Mに近寄らなければ、吠えられません。
一応、そんな感じです。
秋田犬を北海道で飼うと、北海道犬と間違えられ、遠くから写真を隠し撮りされます。
「わー、北海道犬、初めて見た!」とキラキラ声で近寄って来る観光客。
ただ静かな声で、秋田犬です。と答えてます。
サムが威嚇すると、とにかくこちらが疲れるので、なるべく人に近寄らないように心がけてます。
五稜郭公園は、観光客がわんさかいるのですが、
今は特に、中国人、韓国人がたくさんいます。
よくサムを隠し撮りします。
もういい加減、隠し撮りは嫌だったので、いちいち
「カメラで撮らないでください。自分のSNSなどに載せないでください」と
声をかけていました。
そしたら、ある香港人っぽい人が、隠し撮りどころか、正面からサムを撮影していて、
「ちょっとやめて!」と大声で言ったら、
「あなたを撮っているいるわけじゃない!
犬を撮っているの!」と
逆キレされました。
外国人の何をも恐れない態度には、こちらもちょっと後ずさりします。
私のダンナさんは、ドイツ人ですが、サムが隠し撮りされても気にしないのです。
かえって、私が「写真撮らないで」という姿に、ハラハラしているようでした。
なぜなら、観光客は写真を撮る権利があるから!だそうです。
しかも、法律が命のドイツでは、観光客に対してそういうことを言ったら
罰金ないし、ペナルティになるそうで、
私の口を制御しなくてはいけないそうです。。。
日本人の感覚で、外国人にあーだ、こーだ言うのは、外国では罰則にあたる!まで考えてしまうと、
もう、何が正しくて、何が悪いのか、感覚が分からなくなってきます。
ただ、自分がそうされたら、と考えると、やっぱり自分の感覚が一番あっているなぁ、と思うのです。
聖書の基準で生きる
聖書には、神様の言葉が色々書かれています。
特に旧約聖書には、「律法」と呼ばれる規則が、たくさん書かれています。
しかし、その規則に従うことで、神様を愛するという行動となり、あらゆる生活の中で守られるのです。
そして神様を深く知れるのです。
私たちの時代は、なんでもゆるし合いましょう!的な、雰囲気がありますが、
それを全部ゆるしてしまうと、
混乱してしまうと思うのです。
例えば、不倫は隠れていればOK、とか。
盗みは、ばれなきゃOK、とか。
嘘も、ばれなきゃOK。
脱税も、人殺しも、ばれなきゃOK。
なんて世界が作られてしまっています。
私は生活の中で、全部が全部神様の前で、清潔か、と問えば、もちろんそんなことはありません。
が、自分が間違えていると思ったら、すぐに神様にお祈りして、その思いを修正できるように、考えを変えていく努力はしています。
Raptさんは、これが聖書で言う「悔い改め」とおっしゃっています。
自分でまだ気づけていない罪。たくさんあります。
だから、落ち込んで、不幸せに感じたりします。
それを、なるべくなくすように努力することで、神様を深く悟り、神様を近くに感じ、心から生きていることが喜びに変わっていくのです。
今日という一日は、決して無駄じゃない。
ただお祈りしつつ、賛美しつつ、み言葉に聞いて、へりくだって神様を知ることを目標として行けたらと、願っています。