親であること

今日の五稜郭公園、素敵な朝でした!

あちらに八重桜と、手前にはツツジが、きれいなコントラストで調和しています。

五稜郭公園は、桜が終わって人がいなくなってからが、一番美しく呼吸しているように思えます。

サムのお散歩は、朝と夜に行っていたのですが、

サムが「ひきこもり」犬になりつつあったので、

朝と午後の一番良い時間帯に行くことにしました。

そうすることで、他のワンちゃんとも交流が持てて、サムも警戒心バリバリだしながらも、うれしそうです。

1匹、小さなワンちゃんが、昨日と今日と会うようになって、お友達になってくれました。

大型犬が好きなワンちゃんらしく、大きい犬を見ると、近寄って挨拶してくれるのです。

見ているだけで癒されますが、サムもその子に心を許しているようで、今日は一緒にジャンプしたりして、落ち着いて遊べました。

やっぱり、夜の暗闇を歩いて散歩するより、太陽の光をたっぷり浴びて散歩する方が絶対に良いに決まっています。

親の役目

昨日から娘ちゃんが学校でトラブルあったようで、学校嫌いがますます加速していました。

その矢先、私がPTAで学校の先生と会う機会があったのです。

なので、ここでチャンス!学校側の意見、学校がどんな風に生徒に接しているのかを聞ける時です。

担任とは昨日から電話で話していたのですが、いざ顔を見てお話したら、娘が思っているほど学校は問題を問題としていなくて、

むしろ、娘ちゃんが素直にこれが悪かったと言ってきたことに、ほめてくださっていました。

娘ちゃんは、自分がもう学校から先生から、「悪い子」のレッテルを貼られたのではないか心配だったようですが、

かえって、学校は娘ちゃんの勇気に「ありがとう」だったのです。

なんか第三者から見ると、親の役目、立場はあまりなく、娘ちゃんと先生たちで解決を見つけ、すでに前を向いて歩んでいたのです。

私は、娘ちゃんが辛い思いをしている姿を見て、ただ横で励まし、そっと後ろで神様にお祈りするだけでした。

しかし、この「お祈り」が一番聞かれたのだと思うのです。

そしてどの社会においても、自分の気持ちを素直に伝えることの難しさ、人との会話の中で自分勝手に解釈してしまう恐れも、多々あります。

人は、その人が経験してきたこと、見てきたこと、聞いてきたことで、相手の気持ちを判断してしまうことがあります。

自分が知らない気持ちを、相手がしていたら、それを理解するのは大変なことです。

親の気持ちも、実際自分が親になってみないと分かりません。

赤ちゃんのお母さんの気持ち。

小学生のお母さんの気持ち。

中高生のお母さんの気持ち。

自分は、ここまで理解できるようになりました。

しかし、大学生を持つお母さんの気持ちは、理解できません。

社会人になって、独立した子を持つお母さんの気持ちも分かりません。

親って、本当にいつまでも親なんです。アドバイスしたくなるのです。

自分の経験の中でしか、物事を理解し、考えることができない。

それを子供に押し付けていたら、大変な重圧です。

だから、神様にお祈りしかない。

そう感じることが増えました。

自分で問題をにぎって解決なんてできやしない。

神様しかできない。

そんなことを毎日考え、悟っています。

だから子供に依存する親は、危険。

本当にそういう人が増えていると感じました。

子供は子供の人生があり、自分は自分の神様からの使命を深く理解し、進んでいかないと、皆共倒れです。

苦しみの中にある方々が、本当の神様のご愛に気づき、みことばによって立ち上がることができますように。

Raptさんのブログには、そのみ言葉があるのです。

ぜひ読んでみてください。

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