敵を愛すること
昨日の夕焼け~。
きれいでした。夕日が沈むときは、本当に静かな時間です。
あっという間に、終わってしまうから。
だから祈りの時間ともいう…。
ただいつも言えるのが、『今日もありがとう』です。
今日も明日も、変わらないようで、激動の毎日がすぎて行っています。
ちなみに、おとといは、朝焼けを撮れました。
これも本当に美しかった~。
これは、6時45分くらいだったかな。
焼きたてのパンを買いに、パン屋へ行く途中。
パン屋さんは6時半からオープンだから、ありがたい。
朝焼けを見れると、その日一日が、満たされる気分になります。
特に誰もいない朝の道は、得した気分になりますね。
みんな大変なんだ
最近、人から責められることがあり、それに対してゆるせない自分がいて、苦しい思いをしていました。
昨日は、なぜかポカポカ陽気だったので、近所のおばあちゃんと話すチャンスがありました。
その方、昨日がお誕生日だったので、ちょうどパーティーの最中だったのです。
お友達のおばあちゃんと、近所のおばあちゃんと、お二人でパーティーをされていて、自分も飛び入り参加することになりました。
話す内容を、うかがっていると。
老人ホームの友人のこと、デイサービスに来ている一人の90歳になる方が、娘さんから、イジワルばかりされているそうなのです。
自分の居場所も家になくて、唯一の楽しみ時間は、そのデイサービスの時間らしく、その近所のおばあちゃんに愚痴をこぼすそうです。
なぜ、イジワルされるかというと、
その娘さんが10代のころ、不良と付き合っていたらしく、不良たちから救うために、その遊んでいる現場へ行って、引きずって家に帰らせたから。
娘さん、お母さんのことをずっと恨んでこられたようです。
最後に、近所のおばあちゃんは言いました。
『子育てって、一体なんだろうね』
『親は、最後には捨てられる存在なんだろうね』
私は、考えさせられました。
人から責められて、辛い思いをしていた自分が、馬鹿らしく思えてきました。
何年も、何十年も、傷が癒されずに、世代を超えて、イジワルが続くのでしょうか。
なんとも言えない、この社会の闇が、見え隠れしています。
だって、家族なのに、一番の敵なのですよ。
無言のふるまいで、人は傷つき、言葉を言えば、またそれを良いように丸め込まれて、違うイジワルに変化してしまう。
今生きている人で、本当に安心して、幸せを感じて、生活できている人は、いるのでしょうか。
聖書の神様しか、答えはないように思うのでした。
昨日読んだ箇所です。
主であり、師である私があなたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合うべきである。
私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。
このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。
ヨハネ13:14-17
イエス様は、先生なのに、弟子たちの足を洗われました。
その中にも、裏切りのユダがいました。
彼の足も洗いました。
私は、自分が先生だとしたら、生徒たちの足を洗えるでしょうか。しかも、私を裏切り殺そうと計画している人の足を。
それでも、神様は、互いに愛し合いなさい。ゆるしあいなさい。と、言われるのです。
なぜなら、神様がイエス様の十字架の死によって、私たちが命を得ることができたからです。
神様がゆるしてくださる人を目の前にして、『お前をゆるさない』と、言えるでしょうか。
神様が、愛しなさいと言っている人に向かって、『大嫌い』と、言えるでしょうか。
神様の愛は、人間には想像できないほど、深いのです。
だからそれを思うと涙がでてきます。
苦しんでいる人、おばあちゃんたちを見ると、どうにかしてあげたいと、思うからです。
私にできることは、自分の罪を神様に清めていただいて、神様のために働くことです。
人をゆるすことです。
もう、それでいいのです。
今日も本気で生きていこう。
Have a nice day!