愛がないと意味がない
今日は、大雨ですが、昨日は雪がきれいに降っていました。
雨だと、なんだか気持ちが晴れ上がらない感じがします。
子供たちの機嫌があまりよくありません。
何かを我慢しているかのように思います。
言葉にできないから、子供なのです。気持ちがうまく伝えられないのです。
言葉をもっと自分のものにして、自分の気持ちを言えるようになるまでに、私は何年生きたときだったかな。
というか、アメリカ留学をした18歳の時、日本語でなく英語で自己を表現しなくてはならない状況にいたので、とにかく自分の気持ちをたくさん検証しました。
しかも、自分の日本語までも、赤ちゃん言葉に変えて、そこから英語に変えて、少しずつ少しずつ英語を話せるようになっていった記憶があります。
長い文章は、会話では話さなくても成り立つのです。
それは日本語でも一緒です。
子どもの気持ちを知りたいと思ったら、まずなんの圧力もかけないで、リラックスしてじっと待つほかありません。
子どもは、大人の気持ちを瞬時に察するので、大人は本当に気をつけなくてはなりません。
言葉は、生きていて、心を突き刺したり、心を満腹にしたり、出来るからです。
言葉を選ぶことも大事ですが、まずはその相手を傷つけない言葉を言えるように心がけが必要です。
愛がなければ、ただのやかましいドラムやシンバルの音に聴こえる、と、聖書にも書かれていました。
確かに、母がどんなに怒っても、子供は聞いていないです。
のび太のママも、ただのうるさいお母さんのイメージが強いですが、本当に愛がなければ、叱責にならないのです。
子供が子供らしく、自分の気持ちを素直に言える環境づくりも必要ですね。
そうでないと、カッコつけようとして、嘘をいいだしたりするからです。
子どもは、ほめられたい、認められたいと思うからこそ、頑張っているように見えるのです。
褒められず、認められずに育った子供たちは、さびしさのあまり、何をするか分からないからです。
そんな若者や大人たちが、社会を造っているのです。
女性として、母として、責任を持って子どもを暖かな愛で育てられたらいいな、と思ったのです。
今日の、息子との口ゲンカの反省文でした…
今日も素敵な日を。