神の神殿となること
2024年1月1日、大地震がありました。
日本中の人々は、恐怖に襲われ、新年のお祝いどころではなくなりました。
色々な情報が拡散され、何をどう理解したら分からない状態になりました。
私たち家族は、ウィーンフィルハーモニックオーケストラの、New Year Concert観るのを楽しみにしていたのに…。
しかし、日本は、『自粛』という名のもと、人々はたとえ地震から遠くのエリアに住んでいても、喪に服し、人々の命が救われるように祈ります。
新年のお祝いムードどころではありません。
そしてネットを色々調べると、でてくることが、テレビやネットニュースで言われていることに矛盾があり、震源地も修正があったりと、なんだか作られているシナリオに従っているようにしか思えない現実が見えてきます。
もうテレビを観ていると、いてもたってもいられない気持ちになります。
悪人が滅び去り、本当に一人一人が神様に向き、心から幸せな人生を歩めるようにお祈りします。
聖書を読んで教えられたこと
今日は、ハガイ書(旧約聖書)を読みました。
あなたがたは多くの収穫を期待したが
それは僅かであった。
あなたがたが家へ持ち帰ると
私はそれを吹き飛ばした。
それはなぜなのかー万軍の主の仰せ。
それは、私の神殿が廃墟のままであるのに
あなたがたが、それぞれ自分の家のために
走りまわっているからだ。
ハガイ書1章9節
私は今、自分の人生をどうして歩んでいいか、迷いの中にいたのです。
わからないまま、がむしゃらにオルガンを弾いてみたり。
しかしオルガンを弾く中で、鳥肌がたったり、感動したりして、『あ、この気持ちは神様からいただいている』と感じました。
だからひたすらオルガンを弾きました。
しかし、それが自分の満足の道へとしか行くことができなかったのです。
神様の導かれる道は、お祈りをしないと分からないからです。
1ミリもくるいのないほどに、神様は精密に私の人生を計算し、無駄がいっさいないように導かれます。
だからそこに神様がいないといけないのですが、がむしゃらになると、神様を感じることができなくなったのです。
聖書にでてくる『神殿』は、私の体、心、思いを示しています。
心と思いを尽くして、神様を賛美する体づくりをしなくてはいけないと、教えられたのです。
この聖書箇所を読んで、改めて神様に申し訳ない気持ちになり、行動を改めようと決心しました。
愛犬の散歩
今日は、カメラ目線をいただきました。
私が嬉しくて、その一瞬をガンバって撮ったのに、カメラに耳をおさめられなかった。。。
散歩中、この子は、良くひっぱります。
雪の上は、まだいいのですが、凍っている上を歩くときは、滑って転びます。
横断歩道上で、転んだことは、何度もあり、本当に『しつけ』に悩んでいます。
夏には、犬の学校へも連れて行ったこともあったのですが、散歩になると、だめですね。
制御できずに、私が悪いような気持ちになるのです。
だから、今日は散歩中ずっとお祈りしてみました。
『愛犬の興奮をおさめてください。
怖い物がたくさんあるのであれば、その恐怖心を取り去ってください』
そしたら、ゆるく私が制御できる力でひっぱるのです。
だから、転ばずに散歩が楽にできました。
お祈りってすごい。
信じるから聞かれるのです。神様は、近くにいてくださっています。
聖書の神様は、唯一の存在、この世で人間を見て愛し続けてくださっています。
世の中のうそな情報から、私たちが目を覚まし、神様を心から賛美できるように、お祈りします。