時間という感覚
今日の朝日は美しかった~五稜郭公園。
なんか春が来たような陽気でした。
間違えて冬眠中の動物たちも目覚めてしまいそうですね。
でも、着実に春は近づいているのが分かります。
今日のサムは、とても機嫌がよろしく、終始笑顔での散歩道でした。
五稜郭公園がやっぱりリードつないでじゃないと散歩できないのが、なんか申し訳ない。
思いっきり走らせてあげたいな。
新聖歌131番の動画アップしました。
元気の出るメロディです。
ブラスバンドでこの讃美歌聴いたら、行進曲になりそうなイメージです。
ぜひご視聴ください。
時間の感覚
最近よく思うことは、「時間」という縛りの中で生きているということ。
つまり、時間によって自分が行動し、常に時間、時間、時間で行動が決まっているということ。
自分の気持ちも時間によって制限されていたり、相手へのいたわる時間も制限している。
例えば、朝起きて、何時までに約束の場所へ行くこと。
時間に遅れると、とんでもなく信頼を失ってしまうこと。
時間というものは、いったいどこまで自分にストレスを与えるものなのか。
そんなことをよく考えていました。
夜も何時間も寝ていないから、体調不良になったり、時間がないから病気になるということも、あり得る話です。
そしてふとした時、時間の支配とは、この世のロボットと同じ感覚であるということ。
感情も心もないロボットと同じなのですよ。
だから時計を見ていないと、正しい行動ができず、ひたすら何かに没頭して時間を忘れることもできない。
もうこんな時間だから、ごはんを食べないと。
もうこんな時間だから、片づけないと。
もうこんな時間だから、作業をやめないと。
もうこんな自分だから…時間と自分がすり替わっていく感覚を覚えます。
確かに私たちの一日は24時間。
でも、心が豊かになる時間とは、どんな時間を過ごせばよいのか。
私は、オルガンを弾いている時、料理をしている時、時間を忘れて課題達成まで集中します。
その時は、1時間だったり2時間だったりしますが、一切疲れません。
時間がある意味、後付けなのですね。
心が養われる時間って、支配の中いないのです。
感覚や考え方って、人それぞれありますが、まず心が養われるような時間の使い方をするとよいのかも。
そんなことを気づきました。
皆さんも何かに没頭するときに、時間を忘れてしまうことありますか?
その中に神様からいただく才能が養われているはずです。