生活の海に流されない!
『生活の海に流される~!』
『流されるより、流れろ!』
とよく会話していた自分ですが、それを最近よく思い出します。
30年前くらい、大学生だった私。
そんな会話して、大爆笑しながら、何も得るものはなかった気がする。。。
アメリカの大学へ行ったのまでは良かったけれど、
勉強の量が計り知れず、とりあえず英語のレベルを上げるのに必死だったのです。
その上、色々な教科の勉強、専攻の勉強とオルガンとピアノの練習時間。
もう、時間が限りなくあってほしいと思っていました。
ふと気が付くと、今も『生活の海に流される』という思いをずっとしているなぁ、と感じるのです。
生活の海って何?
何も考えず、ただ目の前にあることを、タンタンとやること。
自分の気持ちを押しつぶして、とりあえずお金のため、人のために、働くこと。
『とりあえず』という言葉は、危険なマインドですよ。
大学卒業後は、首都圏で10年くらいOLしましたが、そこでも勉強とか、仕事のマナーとか身につけなきゃだし、
自分を殺して働くって、本当に自殺行為ですよ。
私は、1社にとどまるのが苦手で、自分のやりたいことを探し、たくさん転職しました。
いわゆる、転職族でした。最後は、派遣社員になりましたが、充実感はなく、虚無感にいつも襲われていました。
本当の神様に出会う
本当の神様に出会い、心からお祈りを持てるようになったのは、Raptブログに出会ったから。
教会でむなしい思いをしていたのは、教会が悪魔にのっとられていたことが分かったからです。
日本の歴史は、本当にごまかしとウソが書かれていることも分かって、
私たちが神様や聖霊を感じることが出来なくなっていたのです。
それが心から理解できました。
神様は、なぜ私を選んでくださったのにも関わらず、私はなぜこんなに苦しいのか。
不思議で仕方がなかった。
うそで固められた世界、神様がおられる真実の世界が、理解できたときに、すべてすっきりしたのです。
そして、神様に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
その気持ちを、『生活の海』によって、また消されてしまうのです。
24時間祈ること
神様は、私たちと会話したいと思っておられますが、
私がそれを忘れてしまうのです。
Raptさんは、『恋人を想いこがれる気持ち』でいつも神様を呼び求めていきなさい、と
おっしゃってくださいます。
そして、実際Raptさんは実践されてこられ、神様は私たちにも目に見えるように、こうした方がいいよと教えてくださっています。
ドイツ語で『Still』という言葉があります。
静まれ!という意味です。
母親が赤ちゃんにミルクをあげるときに、使うまくらのことを『Still Kissen』といって、
静まる時の座布団みたいなものを、ドイツでは使いました。
授乳時、赤ちゃんも母親も、ただじっとお互いの目を見て、静かに時間が過ぎるのです。
その時間は、赤ちゃんも母親にも、黄金タイムです。
体も心もはぐくまれる時間ですね。
神様へ向かう時に、その『静まる』時間が大切なんだなと思うのです。
要するに、24時間生活のあわただしさ、自分の不安や恐怖心から離れてみて、神様を信じて祈りなさい。
という意味です。
それを分かった時、また神様に申し訳ない思いになりました。
心で生きる
目に見えるものが、どれほどはかないものか、経験を通してよくわかります。
しかし、美しいもの、おいしいもの、かっこいい物に出会うと、心がそっちへ行くのです。
神様は、私たちに必要な物が何かをよくご存じです。
だから、神様に祈り求めていくことで、必要なものが与えられます。
わが子供たちは、ずっと長い間、犬を飼いたくて、犬を飼えますようにと、お祈りをしていました。
そうしたら、去年わが愛犬サムが家に来てくれたのです。
今日の散歩は、息子も同行してくれて、思い切り走ってくれました。
今日の五稜郭公園は、曇り空だったのですが、散歩終わったら大雨に変わりました。
すべて神様は、私たちの必要を知っておられる。
税金が高くなって、物価も高くなっている、今の日本。
どうやって生活したらよいか分かりません。
外国人やAIに仕事を奪われていく将来をちらちらと感じながら、
今自分にできることを、お祈りして教えていただかなきゃ、生きていけません。
私たちは、神様の作品であって、一人一人、神様からいただいている個性と才能があるのです。
今日も、神様のお恵みを深く知れる日でありますように。