小さい時の夢が今でもつながっている
今日はだいぶ冷えました。外は、3度とか。
冬らしくなってきました。いつもなら、この季節(11月)は嫌いなのですが、今年は、そうでもありません。
心があたたかい気持ちだからかな。
ピアノを弾いて、自分の身体がカチコチでいることに、最近気づきました。
自分の身体が悲鳴をあげながら、ピアノを弾いていたから、ピアノも弾けなくなってきて、腕も痛くなってきた…。
そこで、いつもの検証をしてみました。
すると、だいぶ分かってきたのが、ピアノを弾く時の自分の言葉が、みにくいものばかりだったのです。
ピアノを弾きながら、
これ弾けるようになったら、いつどこで演奏させてもらえるかな。とか。
間違えないでどこまで弾けるかな、とか。
小学生でも考える基本的なピアノの心配ごとを考えて、弾いていたのです。
そうすると、
間違えないようにするには、頭も使って筋肉も硬直して、そして楽譜通りに弾けた自分に、またダメ出しをする、という。
体も悲鳴上げるわけです。
よく考えると、日常でも自分は体を硬直させて、心配しながら生活していたことに気づき、
しまいには、猫背ちゃんで24時間生活。
この猫背ちゃんが、ピアノを弾く指までも力が入るようにしていた犯人。
だから、日常でどれだけリラックスして、日常で正しい姿勢をできているかが、勝負です。
そうするには、心配事や恐れを、心から閉めだすこと。
そして、自分に安心と平和があったら、ピアノも変わっていくことが、分かってきました。
夢はピアニストだった
子どものころから、ピアノは大好きで、本当に将来はピアニストになりたかった私。
しかし、自分の演奏に自信が持てずに、手も小さいからと、なんらかの理由をつけて、あきらめた。
でも演奏家になりたい夢は、変わらずに、どうやったら上手くピアノを弾けるかを研究したところ、
音楽ばかりをやっていたらダメだと思った。
なぜなら、音楽は心だから。
そう思った10代。
色々なことに興味を持ち始め、アメリカへ大学は留学した。アメリカでもピアノより、人とコミュニケーションをとることを大事にして、他の勉強も頑張った。
だから、ピアノばかりやっている人よりも、音楽の表現が豊かになっていると、自分で勝手に思っていたのです。
そんなことばかりやっていたから、ピアノの技術は上がらず、なんとなく弾く癖がついていて、そしてオルガンに出会ったのです。
オルガンは、全くピアノと違って、空気を入れるように弾くので、ピアノのように弾くと、何を弾いているのか分からない音楽になってしまいます。
それで、ピアノへの夢は終了しました。
今、ここでピアノ練習を頑張ると、変な所に力が入ってしまい、なかなかうまく弾けません。
結局、心で奏でる音楽も、技術が必要ということ。(気づくの遅すぎ~)
今、もう一度初心に戻って、脱力を中心にピアノを練習しています。
ただ、やっぱり思うのが、ピアノを弾く時に雑念ばかりがくるので、その雑念との戦いで、自分を責め立てる言葉が少しでもあったら、やっぱり神様にお祈りするのです。
小さい時から、雑念が入りなかなかピアノに向き合えなかった私。
神さまにお祈りすることで、変わってきました。
これから奏でる音が、ピアノを通して、深いものであることを想うほど、ますます磨きにかかりたいと願うばかりです。
今日も素敵な日を。