目に見えないけれど絶対にいる存在
あっという間に季節は移り変わり、すっかり春になりました。
初夏と言ってもいいほどの暖かさが続いています。
ずっと忙しくてブログの更新できませんでした。
忙しいって、本当に心がやられるね。
毎朝のサムの散歩だけ、癒しの時間でした。
五稜郭公園の桜も、美しく、観光客ばかりの時間帯は避けて散歩へ行きました。
でもきれいです。車道も大渋滞になってましたよ。
写真は、GW始まる前の時にちょうど満開になって、お散歩を満喫しているときです。
この後は、観光客が来て桜も散ってました…
何だかいつもブログを書くときは、節目を思う時です。
自分の中で節目があり、過去のものを清算して前へ進む時です。
今本当に自分は、その真ん中に立っていて、もうやっていくしかない選択に迫られているような気がします。
昔から、自分はぬるま湯にとっぷり浸かっている気分が抜けてないと、言われたりしてきましたが、
目の前にある何も確保もない逃げ場に飛び込んで、
結局ボロボロになるという繰り返しをしてきました。
今の時代、大事なものが一体何なのか、わからなくなっています。
お金があれば、人格も変わります。
人格が変わった人たちが、社会を動かしています。
そしてどんな夢をもっても、「稼げるのか」という問いの中、人々は選択に迫られます。
そして、楽してお金を儲けられる仕方を学び、結局たいして結果も出せずに虚無感に陥るのです。
私もそんな車輪の中にあって、自分を見失ってきました。
分からないのです。
混乱するから。
だから、目に見えるものに頼っていくと危険なんだと思うのです。
目に見えない物は、たくさん存在しています。
何よりも、誰よりも聖書の神様です。
本物はここにある。
聖書を読むと頭がすっきりします。
みことばは生きて自分の中で生きる力となるのです。
ずっとブログ書けなかったから、やっと書くことができた。
感謝!