「咲き誇る」ことの意味
最近、落ち込むことが良くあるのですが、愛犬サムに癒されています。
写真は、私が食事中の時。いつも右側に来ては、腕の上に顔を乗せるのです。
もうね。かわいい~!
最近のサムは、右目をこすってしまい、眼が腫れていたので、病院へいって軟膏をもらいました。
そして、エリザベスカラー♡
首回りが大きいので、5Lを着用しています。
病院の後、すぐに散歩へいったら、観光客やたくさんの人から大注目を浴びました。
中国人らしき人達は、いつも隠し撮りをします…。気にしないよう努めてます。
さて3日で治った右目。サムはカラーを外して、快適なご様子。
サムとの散歩で、いつも素晴らしい大自然にであいます。
箱館五稜郭公園の中にある、奉行所。
その周りは大きな広場になっていて、いつも芝生などきれいに刈られていますが、ここの一角だけ小さな花たちが満開でした。
このお花、大好きです。白やピンクがありますが、強いのです。
どういう意味かというと、
「小さな草花は、嵐や台風が来たらペッちゃんこになるけれど、また太陽が上がったら元のように花を咲く」のです。
「大きな木は、台風が来たらなぎ倒されてしまうのに対し、草花はまた立ち上がれる」のです。
これは、知り合いの尊敬する画家さんの一言なのですが。
まさに、それ!と思いました。
小さいからこそ、強く生きれるのかもしれません。
私も自分に置き換えて考えると、小さな本気の祈りから、すべてが叶うと教えられています。
心から信じて、心から神様にすがりつくほど、強いものはありません。
万物を造られた神様がいるのですから。
ある日の夕方、すごい夕焼けでした。
燃えているような夕焼け。
自分がアメリカに住んでいた時、良く見えた夕焼け。
函館市でもこんな風に見えるんだなぁ。と感動しました。
その夕焼けに照らされたお花。
美しく咲き誇っていました。
お花が自分自身を誇るって、すごいなと思う。
なぜなら、神様からいただいた命を全身全霊で生きている姿だから。
一生懸命生きる姿が、「咲き誇る」姿に見えるのは、またすごいと思う。
人間も、一生懸命に努力している姿は、美しく見えるのと同じだね。
努力は、結果じゃなくて、過程だから。
結果が出た後、また次のゴールに向かっていかないと、老化するわけ。
たった一回の人生のやりたかったことが出来て味をしめたら、飽きてくるしね。
神様って、だからすごいなと思った。
自分は、いったい今どこにいるのだろう。
咲き誇れるように、生きているのかな。
明日は、何を食べよう、とか
子どもの心配、とか
パートナーとのわだかまり、とか
そんなことばかり考えているから、「咲き誇れない」気がする。
やるべきことは、山のようにある。
だから、一つ一つを書き出して、
もう一度お祈りして、神様から霊感を通して教えていただくこと。
決して、今のままを満足してはならないこと。
そんなことを、お花を通して教わりました。
Raptブログには、そんなお知恵がたくさんあります。
ぜひ、読んでみてください。